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平成27年11月7日更新
レッドムーンについて
自然寿について
夕張メロンについて
虎杖浜(こじょうはま)とは
アスパラガス発祥の地
 
レッドムーンについて
レッドムーンは、アメリカから導入した品種を交配させ1991年(平成3年)に品種登録されたまだ新しい品種です。特徴としては皮が赤くサツマイモみたいな色で「紅ジャガイモ」と呼ばれています。品種の特性上で茎がしっかりしていて手掘りでの収穫となる為、生産量が限られまた生産者も少なく、市場に出回る量の少ない希少種のじゃがいもです。 形は楕円形で表面は比較的凹凸が少ない感じです。 収穫後にじゃがいもとは思えない甘みが増してきます。メークインと同じように粘性があるので、長時間煮込でも煮崩れしません。肉じゃが・カレー・煮込み料理・炒め物・揚げ物に適しています。
レッドムーン
・参考:旬の食材百科
 
自然寿について
自然寿は長芋であり品種はネバリスターです。ネバリスターはイチョウイモ(大和芋)とナガイモを掛け合わせた品種となります。平成17年(2005年)に出願され、平成20年(2008年)に品種登録された比較的新しい品種となります。特徴としては果肉の肉質はナガイモに比べとても緻密で滑らかです。これをすりおろすと、長芋の約2倍くらい粘りがあり、舌触りが滑らかでほんのり甘味が感じられるとろろになります。
また、イチョウイモの特徴を受け継ぎ、加熱調理するとホクッとした食感に仕上がります。全体的に見れば、食感などの特徴はナガイモというよりイチョウイモ(大和芋)に近い感じです。
自然寿,長芋
引用・参考:旬の食材百科
 
夕張メロンについて
品種名は「夕張キングメロン」であり、「夕張メロン」は商標名です。夕張メロンは夕張市の、約130戸の生産農家のみが作ることを許される果物で、夕張市農業協同組合に集荷され、厳格な検査に合格したものだけを「夕張メロン」のブランドで出荷できます。隣接する市町村産では、夕張の名を冠することはできず、そのため、90年代前半まで北海道内で栽培されていた夕張キングを箱詰めした場合、その地域ブランド名を記したケースや箱で販売されていた。但し、箱に記載の品種名は「夕張キング」と表示がなされてきました。現在は夕張キングの種及び苗木が夕張市のみの取扱となり夕張キングを他の地方で栽培される事はなくりました。
夕張メロンの等級
選別方法で共撰と個選と2種類の選別方法があり、厳格な検査に合格したのが共撰となります。個撰は規格外のもので、ネットの目が粗い物や大きさがいびつだったりギフトには不向きですが、おいしさはかわりません。その中で「特秀、秀、優、良」4種類の等級があります。
★等級の種類
●特秀 糖度13%以上保障 幻ともいわれる最高ランクの等級で出荷量もごくわずかで市場にはなかなか出回りません。
●秀 糖度12%以上 高級の夕張メロンで入手困難になりやくす、ほしくてもなかなか手に入らない等級です。
●優  糖度11%以上保証 ギフト品で良く使用される等級です。
●良  糖度10%以上保証 自宅で召し上がるのに手ごろな価格の等級です。
※特秀・秀の収穫量は夕張メロンの出荷数の1%〜2%前後しかないそうです。

※夕張メロンを表すシールです。このシールがないメロンは夕張メロンと認定されません。
 このシールは、共撰 優品です。
夕張メロンシール
    引用・参照:wikipedia 夕張市農業共同組合HP

虎杖浜(こじょうはま)とは
北海道白老町の地名です。
虎杖浜温泉や、タラコの加工業者が集結しており、タラコの産地として知られる場所です。
虎杖浜の前浜で10月から翌年2月頃にかけて漁獲される助宗鱈の卵巣を塩蔵加工した国産品のタラコを出荷することで知られています。一般的に流通しているタラコは、アメリカやロシアなどの海外で漁獲され採卵し冷凍したものを日本国内で解凍のうえ塩蔵加工しています。 国内産品の場合、塩蔵加工の工程前に冷凍し解凍する行程が無く、タラコ本来の旨味が生かされるため、味わいが高いとされています。 このため、虎杖浜産の「虎杖浜たらこ」は品質が高く、地域団体商標登録された水産加工品として流通しています。(虎杖浜のものでも、一部業者は、輸入品のタラコもあります。)
 

日本のアスパラガスは北海道の岩内町が発祥!!
アスパラガスはヨーロッパが原産国で、日本で食べられるようになったのは明治期以後のことです。それを日本で初めて作ることに成功したのが、ここ岩内町出身の農学博士・下田喜久三だったからです。 今ではどこにでも売られているアスパラガスですが、ゆり科の植物だということはあまり知られていないのではないでしょうか。そのアスパラガスを日本で初めて作るすることに成功させたのが岩内町出身の農学博士・下田喜久三でした。研究の結果、1922年に寒冷な気候で育ち、食べることもできる新品種を開発したからです。そして翌年には現在の共和町に40ヘクタールの直営農場を設けて大規模に作り始め、それと同時に冷害対策として、周辺の農家に対して作ることをすすめました。1924年には岩内町に日本アスパラガス株式会社をつくって、缶詰の生産を準備し、1925年に生産をはじめました。その品質・製法は、本家である外国品よりもすぐれていたそうで、全国的に高い評価を受け、その後海外へ輸出するまでになりました。このように、岩内町とアスパラガスに深いつながりがあることから、それを記念して「発祥の地」としているわけです。ただし、岩内町はアスパラガスを作るにはあまり適した土地ではなかったようです。その後の大規模な生産、生産は喜茂別(きもべつ)町で行われるようになりました。そのため喜茂別町にも「アスパラガス揺籃(ようらん:始まりという意味)の地」という碑が建てられています。
※自社農園のある寿都町もアスパラガスの発祥の地である岩内町の隣町になります
   北海道でアスパラガスの栽培が盛んなのがわかりますね!


日本のアスパラガス発祥の地碑

引用「北海道記念碑Report」